認定看護管理者会の地区委員であることで、台風一過後の夏の終わりを強く感じるこの日に“つぶやく”機会を頂いた。
あと三年弱で看護職者としての役目を終え、もうこの様な公的な通信でつぶやくことも無かろうと考えるとピリッとつぶやきたいと欲がでる。又、夏と私、終りの感傷も少しある。
私は、看護業務基準集に編集されていた(2007年改訂版には無い)看護専門職定義が気に入っている。特に、「・・・・看護アセスメントが主体的にできてこそ看護専門職といえる」という文言には、全くだ!的を獲ている!と思う。
ずっと昔、「褥瘡裁判」と呼ばれた医療過誤があった。その時のいかにも未熟な看護記録は強い反省をもって20歳代後半の私にも伝わった。その時から、私は、看護記録の意義を強く意識し、再び臨床に戻り病棟師長となってからは、「看護過程」の構成要素に準拠した看護記録を推進した。当時、すでに、情報収集枠組みはゴードン提唱の「機能的健康パターン11」が、看護診断は学会承認の定義された診断名が普及の過程にあり活用した。2007年、勤務先を変え現職となってからは、「機能的健康パターン11」を基にした「NANDA-I分類法Ⅱ」が存在し、情報収集枠組みをそれとして記録紙を整備し推進した。
ただ、この「看護過程」手法による看護展開は、論理的思考の苦手な看護者は困難らしい、また、コニュニケーション力低下を指摘される近年の看護者には、患者の心理面の情報の引き出しが困難らしい。
もっぱら、今日の私の病棟看護責任者への“つぶやき”は、「看護者の看護アセスメント力の向上は永遠の課題よ」である。幸いに、皆、病態の読み解きは嫌いでないと言ってくれる。信じよう。「好きこそ物の上手なれ」である。
この“つぶやき”欄で、吉田昭枝氏が県看護連盟の会長に就任されたことを知った。仲間が増えたようで嬉しく思う。私も2011年までの約10年、県看護連盟幹事として「ベッドサイドから政治を変える」リフォーム連盟!を経験し、今年は連盟創設50周年で全国250名の表彰者の内の1名という責任も感じて8月から支部の幹事長をしている。
吉田氏の報告にも有るように看護職数比の国会議員数は、医師職数比に到底およばず、見藤元会長が生前によくおっしゃっていたように「医師の政治力にはかなわない」であり、看護関連法の改正の事態に影響すると考える。
吉田氏の“つぶやき”に力を得て今後の施設訪問では、看護政策実現には看護連盟活動が必須であることを熱く語るべきだと改めて思った次第である。
2014年10月9日
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